秘められた天才の苦悩【ガリレオ】
2008年に公開された「探偵ガリレオ」シリーズの「容疑者xの献身」ですが、この作品はなんといっても天才数学者石神を演じる堤真一さんの怪演が話題でした。
しかし、逆に言えばこの作品はその衝撃のラストと堤さんの感想や考察がほとんどです。
今回はそことは少し違った所に焦点を当ててみたいと思います。それは、石神から見た湯川へのその深すぎる友情を見ていきたいと思います。
石神から湯川への感情読み取れるシーンがこちら、“二人で大荒れの雪山を登るシーン”です。
何故か解説をしていきましょう。
このシーンの少し前になりますが、石神は湯川に対してこのような言葉を言い放ちます。
「私に友人などいないよ。」
これは、真相にたどり着いてしまったが、友人の石神の気持ちを汲み話し合おうとしていた湯川にはかなりキツイ言葉だったでしょう笑
では、何故こんな言葉を放ったのか。
それは、石神が湯川が真相にたどり着いてしまった事で湯川を殺そうと考えていたからです。その負い目からの友人などいない発言だったんですね。
さて、少し話は変わりますがこの湯川を殺そうとしたシーンは殺そうとしていた派と殺そうとしていなかった派に分かられると思います。
殺そうとしていなかった派の意見としては主にここで殺人を犯すのは石神の完璧な計画を破綻させる。そんな事を石神がするはずがないというものです。
しかし、これに関しては殺したところで破綻しないというのが正解でしょう。
湯川をあの雪山で殺したとして(殺さなくても石神はあの中で湯川を置き去りにすれば十分)石神を犯人と断定するまでの期間は雪山という立地を考えれば、石神の計画が終了するのに十分すぎるものだからです。
以上、余談でした。
しかし、石神は直接手を下す事もなければ雪山で遭難しかかった湯川を助けに戻りすらします。
おそらく石神の思いは以下のように揺れていったのではないかと前後のシーンを見て解釈できます。
1.湯川を直接手にかけよう。
2.湯川を置き去りにして亡きものにしよう。
3.湯川を助けに戻ってしまう。
何故このように揺り動いてしまったのか。
これに答えを出すには、何故石神が湯川を殺そうと考えたのかを思い出す必要があります。
それは、湯川が自分の計画を暴き、自分の計画を破綻させてしまう存在となったからです。だから、計画の遂行のためにも湯川を殺すしかなかったのです。
しかし、それは果たせなかったのです。
石神にとって計画よりも湯川の命が大切だったからです。石神にとって湯川はどうしても守りたいあの二人の家族と同じくらいに大切に思う友人だったのではないでしょうか。